【板門店・共同警備区域・韓国/北朝鮮】
板門店は韓国と北朝鮮の間に位置する軍事境界線上にある村の名前。ここで朝鮮戦争の停戦条約が1953年に調印されました。UN軍と共産軍が共同管轄する共同警備区域と呼ばれながら韓国と北朝鮮の行政区域に入らない独特な場所です。


韓国軍側の「自由の家」から北朝鮮を望む。正面は北韓軍警備本部の板門閣




韓国軍側から北朝鮮を望む。右側の建物は北韓軍の哨舎左側の建物は北韓軍警備本部である板門閣。




韓国軍側の「自由の家」から遙か北朝鮮を望む。





遙か遠方にそびえる北韓軍国旗掲揚台,高さは160mで旗の幅は30mに及びます。




軍事停戦委員会の建物は全部で7棟で,3棟は韓国軍が4棟は北朝鮮が管理しています。軍事停戦委員会の建物内・北韓軍側の領域に於いて韓国軍兵士と撮影。


                                                                                                  


軍事停戦委員会の建物内から外部を眺める。右側が韓国,左側が北朝鮮。UN軍の保護下に北朝鮮にいましたのは僅か10分でした。





韓国軍兵士。眼の動きをさとられないようにサングラスをかけています。兵士の撮影は自由ですが緊急の際に拳銃の使用の妨げのないように兵士の前には立たないで下さいとの説明を受けました。




韓国側から北朝鮮を眺める。軍事境界線の標識として10mおきにコンクリートの角柱が設置されています。





北韓軍の監視塔





緑の茂る森に囲まれた旧板門店。





「帰らざる橋」「斧殺害事件現場」を眺める。





「斧殺害事件現場の慰霊碑」

【板門店斧殺害事件】 1976年8月18日午前11時,板門店で血なまぐさい殺害事件が発生しUN軍のアメリカ将校,ボニファス大尉とバレット中尉が斧や棍棒で北韓軍に撲殺された事件。



「帰らざる橋」1953年7月27日休戦協定が締結された時この橋で捕虜交換が行われました。この橋を渡ったら二度と帰ることが出来ないという意味で帰らざる橋と呼ばれています。




各国の兵士からUN軍(国連軍)は成り立っています。




軍事停戦委員会の建物内で北朝鮮領域に於いて記念写真。朝鮮半島においては休戦中とはいえ兵士達の緊張感は「平和な国」に住んでいては伝わりません。





韓国軍兵士と国連軍兵士と共に記念写真





自由の家の前で記念写真






板門店を衛星写真より眺める。


更に上空よりの眺め。Google earth の衛星写真を引用しました。



【第三帝國・独逸帝國の関係資料】                  【最初に戻る