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【広島陸軍病院江波分院に入営】


昭和十八年七月ニ十一日(水)晴後雨
遂に入営後の第一夜は明けたり。遅く起床す。終日,無為にバラック建兵舎に時を空過す。板塀の中で外出もならず,宛然獄舎の観あり。外界の恋しきこと限なし。時に来し方を想ふ。今月初旬,否昨日までは,現在の如く,此処広島陸軍病院江波分院の一室に,枕頭,磯の香に包まれて起居するに至らんとは誰が予期し得たるや。真に人の運命は一寸先も分らむものなり。暇に任せて家郷宛書簡を認む。又時に同僚と談を交ふ。特に田中士官とは一別以来の積る話に時の移るをも忘る。かくの如く同一兵舎に生活を倶にすることになれば同じ釜の飯の連帯感に依るものか,初対面の同僚とも,十年の旧知の如く胸襟を抜きて談笑し得るは不思議なり。談は先つ゛,将来,各自の配属地のことに及ぶ。内地に滞り度きは人情の常なるも,現下の戦局よくこれを許すや否や,我々の生殺与奪の権は一に上官の掌中に在るのみ。我々は只,唯々諾々として上官の意に些も違はざらんことをこれ期し,上官の命に豪も背かざらんことをこれ力むるのみ。すべては天なり,命なり。又猥談に花開く。凡そ我々男性野郎の集まる所,談は所詮,閨房秘事,男女関係の上に堕し去るは,情の然らしむる所か,勢ほとばしって然らしむる所か。六名中河野士官を除きては,皆既婚者にして,中にもニ三の士官は特に艶福に誇り,話題極めて豊富,表現また委曲詳細,真味ありて興尽きず。午後沛然として雨ふる。爾後降りみ降らずみ,終日止まず。雨の時は皆多くを語らず。沈思黙坐の状あり。胸臆に出来するのは如何の情ぞや。故山を守る父母妻子の事か。自己の将来の運命か。あゝ,すべてを忘却するにしかず。早くこの環境と生活に順応すべし。




江波分院にて入営間もない頃










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