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【大型・中型攻撃空母(雲龍型)葛城に配置された対空見張り用高角双眼鏡】
【日本海軍大型・中型空母「葛城」に装備された対空見張り用の高角双眼鏡】
上部より眺める。
下方より眺める
写真の上部には葛城の防空指揮所の前半のエリア艦橋ブルワークに沿って
対空見張り用の高角双眼鏡や水上見張り用の12cmの双眼鏡さらに方位盤と思われる物等,
各種の光学兵器が並んでいます。 空母「葛城」は戦後解体されましたが,
関係者が保存していましたのを譲り受けました。
ここに掲示しました双眼鏡は実にこの写真に掲載されている光学兵器の中の一つです。
【大型・中型攻撃空母葛城の艦橋】
参考:
大型・中型攻撃空母葛城の資料
@起工;昭和17年12月08日(呉海軍工廠)/A進水;昭和19年01月19日/B竣工;昭和19年10月15日/
C基準排水量(公試排出量)20400トン/D全長;227.35m/E最大幅;22.0m/
F出力;32.0ノット/G航続力;18ノットで8000浬/H飛行甲板;長さ 216.9mx幅27.0m/
I計画搭載機数;艦上戦闘機12(補用3)艦上爆撃機27(補用3)艦上攻撃機18【補用2)合計65/
J呉港外三ツ子島に擬装係留中,昭和20年07月24日,28日米空母機により
損傷。戦後,復員輸送に従事しました。
【軍艦・艦艇用ランプ】
昭和17年7月製・汽燈
【沖電気製イー655:3号磁石式卓上電話機】
国産沖電気製、海軍の備品として使用されていたもので銘板に「錨と○内にト」の記名が見えます。
【九七式車載重機関銃照準眼鏡】
九七式中戦車、九五式軽戦車、九七式装甲車に装備の重機関銃の照準眼鏡として使われた。
接眼部から覗くと十文字と円のクロス線が見えます。
【九八式軽地上標定機・東京光学機器】
陸軍の軍需光学機器製造の専門メーカーとして、東京光学機器株式会社(現トプコン)が製造したものです。
昭和18年 6月製造との刻印があります。主に砲兵隊が使用し、敵陣地や着弾地点の計測に使用されました。
程度良く保存されてきました。
昭和18年6月製 東京光學機械株式會社
【二式角型双眼鏡・砲隊鏡】
この角型双眼鏡は主として陸軍用の砲隊鏡で、偵察・弾着観察等に使用されました。
【50口径三年式12.7センチ砲火薬缶】
50口径三年式12.7センチ砲は吹雪型の主砲として搭載され、
毎分10発の発射速度の性能がありました。仰角45度までなので、
平射砲とも呼ばれています。この50口径三年式12.7センチ砲火薬缶は
直径18センチ、長さ76センチでアルミ製です。
【九六式25mm機銃の弾倉】
フランスのホチキス社の25mm機銃をライセンス生産
,単装から三連装までが主要艦艇に搭載され日本海軍の
基本装備となった九六式25mm機銃の弾倉(海軍では
40mm以下の口径は全て機関砲ではなく機銃と呼称
されました。)と機銃弾です。弾倉には15発の機銃弾が
給弾出来ました。
モデルガン「ベビー南部」と大きさを比べてみて下さい。
モデルガン「ベビー南部のマガジン」と大きさを比べてみて下さい。
弾倉内に見えます25mm機銃弾は実物ですが
火薬類は一切入っていませんので合法です。
25ミリ機銃弾(火薬は一切入っていません)
九六式25mm機銃と弾薬箱
海軍25mm機銃の弾倉箱、弾倉2個用ですが内部の仕切りはなくなっています。
【九三式地雷】
直径17cmの円盤状の容器にピクリン酸爆薬をつめた地雷で通称アンパンと呼ばれました。
信管を上方にして地面に埋没させて、地雷上に兵士または車両がのると、その重量によって爆発しました。
中央部に真鍮製の栓があり、その下に信管がおさめられていました。信管はバネで浮遊した状態におかれ、
銅線で作動が停止されていました。この銅線は安全装置と重量調節を兼ねており銅線に重量がかかると切れて
信管が作動して爆発するが、銅線の太さを変えておけば切れるときの重量により対人、対車両に使いわけられて
いました。
直径17cm;全高5cm;全重1450g;炸薬量890gです。ロンドンの帝国戦争博物館に一つあるのが報告されています。
非常に希少なものです。画面の右側の縁に4mmの穴があけられ火薬は一切入ってない合法な遺品です。
【3式地雷・甲型】
大東亜戦争も中期を過ぎた頃、海外からの情報によると連合軍では磁器探知器という地雷探知器により、
地中に埋没しておいた鉄製地雷は探知され取り除かれてしまうことがわかると、陸軍では鉄にかわる代用材として、
当時土管などに使用した素焼きの土器の容器に爆薬をつめた陶器地雷を製造しました。
これが3式地雷甲型で、陶製容器の上部にゴム被帽があり、その内側に信管がはめこまれていました。
〔直径〕:27cm(大) 22cm(小) 〔全高〕:9cm 〔爆薬重量〕:3kg(大) 2kg(小)
【其の弐】
戦中、鉄不足したことから作られた備前焼の地雷です。
大戦末期には同じ信管を用いた木製の地雷も使用された。
陶器製のものを甲型、木製のものは乙型と呼称されました。
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【軍医少尉の資料館】