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【軍医少尉の略歴】
軍医少尉は1872年(明治5年)設立された京都府立醫科大學を昭和16年3月に
卒業。当時は現行と違い帝國大學と公立大學の醫學部卒業で医師と認定されました。
【軍医少尉の医師免許証の写し】
京都第壱日本赤十字病院前で記念撮影
わが大君に召されたる 生命光栄ある朝ぼらけ 讃えて送る一億の
歓呼は高く天を衝く いざ征けつわもの日本男児
華と咲く身の感激を 戎衣の胸に引き緊めて 正義の軍行くところ
だれか阻その歩武を いざ征けつわもの日本男児
かがやく御旗先立てて 越ゆる勝利の幾山河 無敵日本の武勲を
世界に示す時ぞ今 いざ征けつわもの日本男児
守る銃後に憂なし 大和魂ゆるぎなき 国のかために人の和に
大盤石のこの備え いざ征けつわもの日本男児
ああ万世の大君に 水漬き草むす忠烈の 誓致さん秋到る
勇ましいかなこの首途 いざ征けつわもの日本男児
父祖の血汐に色映ゆる 国の誉の日の丸を 世紀の空に燦然と
揚げて築けや新亜細亜 いざ征けつわもの日本男児
【出征兵士を送る歌】
歓呼の声に送られて出征当日・京都深草自宅前に於いて。昭和十八年七月十五日
廣島第壱陸軍病院江波分院兵舎見習士官室入口に於いて
入隊以来始めての日直士官姿で!
写真の説明に「こんな格好をするのが又嬉しいのだ」と記載あり。
昭和十八年九月五日
同じく写真の説明に「余り力みすぎたのと水筒の見えるのが気になる」
との記載があり。
昭和十八年十月二七日
皆よく写って居る。後の粗末な病舎が見える。於十六号事務室裏
昭和十九年六月五日
三名の看護婦転属記念写真・愛犬ジョン(軍用犬)まで入り込んで記念写真となる。
昭和十九年十二月十八日【愛犬ジョンは大変軍医少尉に懐いていました。】
帝國陸軍少尉任官の由発表あり。桜花を背景に陸軍病院で記念撮影
昭和二十年四月十四日【三式陸軍軍服を着用し九八年式軍刀を帯刀しています。】
昭和二十年八月六日午前八時過ぎ爆心から僅か800mに位置した廣島第ニ陸軍病院15号病棟医務室内において
被爆し全病棟が全壊した建物からかろうじて脱出出来ました。第二陸軍病院では職員・患者90名の即死を含め
75.3%の死亡率の被害でした。軍医少尉の日誌は被爆・火災から逃れ戦後これにより医師からみた原爆体験を後世に
残しました。
原爆ドーム(旧廣島産業奨励館)・昭和二十年九月頃
平成十六年一月(90歳)まだ現役で内科医として医療に従事していました。
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